だいこくさまとは(大國主大神・大物主大神)

私達に身近な【だいこくさま】とお慕い崇敬申し上げております大國主大神様・大物主大神様は「幽冥(かくりよ)事を司られる大神」として当社に御鎮守しております。幽冥(かくりよ)事とは目には見えない心に写る世界を指し、死後の世界・神々様の世界を主宰されております。

大神様は、その尊い御神徳によって悩み病める人々を救い、私達の心に安寧と幸福をお授け下さいます。「国造りの大神」でもあらせられる大神様は、【農業・商業】を始めありとあらゆる災厄の因縁から守り、栄えさせていただけます。

大地を主宰しお守り下さる【地鎮の神】大土地大神(おおとこぬしのおおかみ)として【土木・建築工事の作業安全】を御守護下さります。人々に幸福をお授けになる福の神・縁結びの神、家内安全、身体健全、無病息災農業繁栄、海上安全、漁業繁栄、土地・建築工事などの作業安全、交通安全を御守護下さります。

私達には見えない、神々様の世界・魂の世界(死後の世界)を主宰されて私達だけではなく、御先祖様も御守護下さる尊い大神様です。
「大國主大神・大物主大神」が国つ神の代表神【総産土神様(そううぶすながみさま)】であり、「大國主大神・大物主大神」は、神代の昔この日本の国土を開拓され国づくりに励まれたと伝えられています。日本の建国に大きな功績をお立てになりました。

これにより大國主大神(大地主大神)として仰がれ、農業・漁業・温泉・医療の神・縁結びの神として、招福開運・商売繁昌・災難除け、更には人の目には見る事ができない死後の世界・神々様の世界の幽冥(かくりよ)を主宰され、「魂」をつかさどり御守護・御導き下さる幽冥主宰大神(かくりごとつかさのおおかみ)として、実にその御神徳は広大無辺なるものがあり、古くから今の世に至るまで、幸福の御縁を結ばれる【えんむすびの神】と敬仰され、【だいこくさま】と申して慕われ【福の神】として篤い信仰をおうけになっております。

ひとりでも多くの皆様が当おやしろの大神様を敬い慕い、楽しい豊かな心をもって生活が営まれますようお祈り申し上げます。

大神様たちは皆様の親神様でもあり、慈愛(いつくしみ)の神でもあらせられますので、大神様は、皆様の魂の成長、御繁栄、御幸福になるために、お悩みを是非御相談下さい。

大國主大神は「所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)」ともよばれ、私共は自分たちの住む日本の国土をひらかれた神として知られております。

大神は、私共の果てしない遠い祖先と喜びも悲しみも共にされ、国土をひらかれ、国づくり、村づくりにご苦心されたのです。また農耕やその他さまざまの業をすすめ、私共の生活の基礎を築かれ、殖産の法を教えてくださったのも、この大神です。さらに大國主大神は、医薬の道をひらかれ、人々の病苦をお救いになるなど今もなお、慈愛深いみこころを私共にお寄せくださっています。

大國主大神といえば「縁結びの神さま」です。そしてここには、愛の契りで結ばれた幸せな二人の姿を思い浮かべられるのではないでしょうか。

しかし、「縁むすび」とは、ただ単に男女の縁を結ぶということだけではありません。私共が立派に成長するように、また社会が明るく楽しいものであるようにと、お互いの幸栄(さきはえ)のためのあらゆる素晴らしい縁の結びなのです。

大國主大神が「福の神」と慕われ、すべての人々からひろく深い信仰をおうけになっているのも、この“むすび”という笑み溢れる愛情を私共に限りなくそそいでくださるからです。

今日も大國主大神は、子供の幸せを願う母親のように、私共に「幸福の縁」をむすんでくださっています。

(別名)大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)

地主という言葉のとおり、私共の住むこの母なる大地の生命をつかさどられるという意味です。全国各地の産土神(うぶすながみ)の大主宰(総産土神)であるところから、特に土工(井戸掘り、溝堀り、石垣を築き土地を盛りあげるときなど)や建築(居宅、土蔵、物置などの新築、増改築するときなど)をする場合には、大神のご守護をいただくおまつりをうけて、自分の宅地を大神のお屋敷にしていただく「福の屋敷」の信仰が古くより伝えられています。

(別名)幽冥主宰大神(かくりよしろしめすおおかみ)

幽冥(かくりよ)とは、幽事(かくりごと)、神事ともいって、私共の眼に見えない、耳にも聞こえない世界です。神から生まれ、神から授けられた私共の聖なる霊魂・生命は、神によってよみがえり、そのみちからによって生かされ、救われます。このことこそ幽冥主宰の大神のミハタラキによることに他なりません。

そして大神は、今の世も、後の世も、霊魂が永遠に栄え、生命の継承がはかられるよう護りみちびいてくださいます。大國主大神に数多くのご神名があることは、それほどにあらゆるご神徳をそなえられていることを意味し、大神は私共のために数限りない「むすび」のご霊力をおそそぎ頂き、住みよい日本の国土を築かれました。

それは、すべてのものが豊かに成長する国土です。大國主大神・大物主大神は日本の国に住む人々のために“むすび”の霊力を与えられ、幸福な生活にみちびいてくださいます。そして大神は、世の人々のために限りない愛情をおそそぎになり、今日にいたるまで篤い信仰をおうけになっています。

大國主大神様・大物主大神様は「だいこくさま」とも親しまれ、昔から福の神として人々の篤い崇敬を受けてきました。だいこくさまと言えば、大きな袋を背負い、右手には打ち出の小槌を持ち、米俵に乗りニコニコされているお姿がすぐに思い浮かびます。また幽世(かくりよ)からこの世の私たちを見守って下さる大神様の温かい気持ちを表しているのではないでしょうか。

ぜひ、大神様を信仰されまして、大きなご神縁が結ばれて、大きな「お福」を頂かれて下さい。

~縁結びの神様 大國主大神様・大物主大神様~

大國主大神様と言えば「縁結びの神様」として広く知られています。そのわけは遥か昔の神話から来ています。大國主大神様は、この日本の国造りをされた神様です。

しかし、高天原から降りてこられた神々達にこの国をお譲りになりました。その代わりに大神様は神事(かみごと)を治める神様となられました。神事とは神々の世界のことであり、神々の世界幽世(かくりよ)から、この世の私たちを護って下さる神様となられました。

人生で最も重要な縁は男女の縁、夫婦の縁ですが、大神様の縁結びはそれだけではありません。神の世界を治める神様ですから、友人、職場、地域などなど全ての幸せの「えにし」を結んで下さるのです。

ご利益は縁結び、病気平癒、五穀豊穣、商売繁盛、殖産興業、必勝祈願など万能の神様です。幽冥主宰大神の幽冥(かくりよ)とは、神様の世界のことで、人々の亡くなった後の霊魂が帰る世界でもあります。私たちは神から生まれ、神から授けられた私どもの聖なる霊魂・生命は神によってよみがえり、そのみちからによって生かされ、救われます。大國主大神様は幽冥主宰大神様として、幽冥をおさめられ、人々の霊魂をもおさめられる神様なのです。

幽世(かくりよ)は一般的に言う「あの世」とは少し違います。あの世=死後の世界ということですが、幽世(かくりよ)は死後の世界も含む「神仏全体の世界」を言います。神道では人間は死ぬと神になるという考え方ですが、人は神仏の世界である幽世(かくりよ)から生まれてきて、死んだらまた幽世(かくりよ)に戻って子孫を守る守護霊(神になる)ということになります。

幽世(かくりよ)を治められる大國主大神様(だいこくさま)は現世と死後の世界も治められる神大國主大神(別名)幽冥主宰大神様(かくりごとつかさのおおかみさま)としても讃えられております。

「神と霊魂の世界を治め、この世を護られる大國主大神様・大物主大神様」

神の世界である幽世(かくりよ)を治め、また幽世という字の中に「幽」という字が入っていますので、いわゆるあの世、死後の世界のことと思われるかもしれませんが、「幽世」は「死後の世界でもあります」がそれだけではなく「神様、つまり神様の世界の事」です。

すなわち大國主大神様は、幽事(神事)を治められる「たくさん」の神々様を率いて幽世と現世、そして日本の国を御守護されているという事であります。

大國主大神様から頂ける「ご縁」については、男女の縁だけではありません。「目には見えない」「耳には聞こえない」神々の世界から、この世の私達を護って下さる尊い神様ですから、友人、職場、社会などすべての人などと「幸福」になるためのご縁を結んで下さる神様です。

幽冥の大神様であらせられる大國主大神様・大物主大神様

大國主大神様・大物主大神様は一般には「縁結びの神様」で知られております。なぜ縁結びの神様かと言いますと、大神様がこの日本の国造りをされた後、天より降りてこられた神々様にこの国をお譲りされました。

大神様は神事、つまり目に見えない神々様の世界を治めて、そこから現世を護られることになりました。死後の世界幽冥は、現世からは見えない世界であり、神々様の世界です。ですから、神々様の統治者である大國主大神様が幽冥も司られることになります。

そこで大神様は、またの名を「幽冥主宰大神様」と呼ばれ、人々は亡き人のみたまさまが安らかにお鎮まりになられますようにと、また幽冥で楽しく暮らして頂けるようにと、ご守護を大神様にお祈りするわけです。

詳しいことはお気軽にお訪ね下さい。

大國主大神

大國主大神は神代の昔、この日本の国の国土を開拓され国造りに励まれたと伝えられております。大神は日本の建国に大きな功績をおたてになり、国土の守護神「大土地大神」として信仰され、農業、漁業、医薬、工業、商業の神
また縁むすびの神として厄除開運、商売繁盛、疫病除け、さらには私たちの目にも見えない耳にも聴こえない「幽冥界」を司り、御守護、御導き、お救い下さる幽冥主宰大神として実にその御神徳は広大無辺であり、古の昔から令和の世に至るまで幸福の縁を結ばれる大神として敬崇され、まただいこくさまと敬仰され「福の神」として篤く信仰されております。

大物主大神

大物主大神は大國主大神の和魂(幸魂・奇魂)で大國主大神が神代の昔、国造りに労せられたとき、その和魂が現れたと伝えられております。大國主大神、大物主大神は農業、工業、商業等あらゆる産業を開発し、常に日常生活全般をお守り下さり、顕界(現世)幽界(あの世)を主宰し給う大神であります。その御神徳は極めて広大であり、古事記、日本書紀、万葉集等の古典により明瞭に伺えます。広く全国にわたって篤い信仰を集めております。

辨才天大神

辨才天大神(別名)市杵島姫命は明治時代以前は長きに渡り神仏習合の時代がつづいており、神仏習合では市杵島姫命の本地垂迹説では辨才天に比定され、その後明治時代の神仏分離以降は市杵島姫命は辨才天様として信仰されております。辨才天様は、「大日経」に説かれている二臂(二本の腕)をもっており琵琶を奏でる天女の姿であり、他にも「金光明最勝王経」に説かれている姿は八臂(八本の腕)をもつ宇賀辨才天です。

宇賀辨才天

宇賀辨才天は、剣、弓、矢、斧など武器を持った戦闘神、守護神の風体で裸形や天女の風情ではなく、中国の貴族女性の服装のようになっています。剣は不動明王尊も持っていますが、冴えわたった知恵を現し、また煩悩を断ち切るための知恵の利剣というような意味で剣を持っています。

玉はいわゆる宝珠ということで、財宝、心の幸せを与える宝としてもっており、弓や矢はそれぞれ心の魔、煩悩などを退治する知恵を改良するために持っています。

「もし人々が智慧を欲するならば最もすぐれた智を、財福を求むるならば本当の幸せを、寿命を欲するならば盛んな生命力を与えよう」等の八つの誓願を立てています。その八本の手の持ち物が、それを象徴しています。そこで清らかな心でひたすらに念願すればこれに感応してくださります。このことが千二百年の今日までこの地に栄ゆる所以なのです。

特に日本では江戸時代に七福神の一神として、専ら福徳財宝の神としてひろく信仰を集めたのです。辨才天を略して親しみを込めて辨天さんと呼ばれています。

辨才天は梵名でサラスバティといいます。インド神話に出てくる河川神を神格化した女神です。ヒンズーの言語の女神ヴァーチュと同一視されていて、人の汚れを払い、富・名誉・福徳・食物を与え勇気と子孫とを恵むとされ、のちには学問と技芸の神、雄弁と知恵の保護神として高い地位を確立しました。

雄弁の才を司る神とされ、意訳されて辨才天といわれたのは、インド時代からの信仰が続いているからだと思われます。人に自分の信ずる心を伝えて、多くの人の共感を得るためにも雄弁の才はとても大切であり、特に宗教の安心を説き、共に救われたいと願うものにとって、絶対不可欠の才です。

また弁舌だけでなく、学芸知識を司り、言音を創造した女神とされるようになりました。金光明最勝王経の中に、「彼の天女を讃し加護を請求すれば福を得ること無辺なり」と説かれています。無礙辨天をそなえ、福知を増し、長寿と財宝を得さしめ、天災地変を除滅し、かつ戦勝を得させる天女とされます。

不動明王尊は真言密教の最高仏と位置づけられる大日如来の成り変わった御姿です。不動明王尊は私たちの心の迷い・煩悩を取り除き、全ての人々を救うため、忿怒のお顔を示されています。

また、ご奉仕をする心の大切さを私たちに教えるため、奴僕の姿になっています。右手に握っておられる利剣は「悟りの智慧」を象徴し、心の迷いを断ち切ってくださいます。そして左手に持っておられる羂索の縄で、煩悩を縛って封じ、正しい教えの道へと導いてくださいます。

不動明王尊がお座りになる磐石は、全ての人を救うため、あらゆる苦難に耐える決意を表しています。不動明王尊の広大無辺の慈悲に感謝して、日々お祈りしましょう。

愛染明王尊は、もともとは煩悩(愛欲や欲望、執着)を悟りに変えて、菩提心(悟りの境地)にまで導いてくれる力を持つ仏様です。梵名は「ラーガ・ラージャ」といい、全身はギラギラと燃えたぎるような赤色で、三目六臂(三つの目と六本の腕)をそなえ持ち、まるで私たちの不甲斐無さを叱りつけているかのような忿怒の形相をされています。しかし、それも実は衆生済度の為、諸々の悪者を追い返す為であり、根は優しく、愛敬(あいきょう)開運を授けてくださるご利益があります・「愛染」=「藍に染める」という言葉から、染め物屋、アパレル関係者からの信仰も篤く、愛敬をアップしてヒットを祈願する芸能人、商売繁盛を願う承認・企業家、出世を願うサラリーマンとその家族、身体健全を祈る人たち、必勝祈願の受験生と…愛染明王尊は不動明王尊と並んで多種多様の方々から支持されています。

それというのも、「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)」という経典に、愛染明王尊の霊験は、「無病息災」「増益」「敬愛」「降伏」「鈎招(福伸を招く)」「延命」である。と記され、特に良縁成就や結婚成就・夫婦円満・商売繁盛においては仏教神の中では最強最高と誰もが認めるほどで、その手に持たれた弓と矢で愛のキューピットのように人と人、心と心を結び付けます。

厄神明王

厄神明王とは、厄除けの神でもある不動明王と愛染明王が一体化した神です。

不動明王と愛染明王のパワーでありとあらゆる災いや災難を焼き払うとされております。生れるときに安産祈願、生れて初宮詣をし、七五三、結婚式、厄年祓から敬老の祭といった人生儀礼に関する祭まで行うのが、神社の使命の一つであります。その死を迎えて祖神の元に還る最後を飾る祭、即ち「神葬祭」に力を入れるべきは当然のことです。

今日に至るまで、神社は吉祭を行う所で、凶祭はしない、従って、死に関することは不浄であり、穢れであるから神職はこれに近づくべきでないとしたのは、神道は明るく生きることが大切だという主張からであり、充分意義のあることです。

あなたにとって最愛の人が亡くなる、その死を送る神葬祭は確かに人生の悲しみであり不幸であることに間違いはありません。しかし、神道では、悲しみや不幸を禊祓・まつりによってこれを正善に向けかえていく事も大切な事です。

死者の魂の不浄を祓い清めて、その不幸・悲しみを神葬祭更には霊祭によって魂の浄化、吉化することも、神職の大切なつとめであります。

「今を生きているあなたへの祈りや御祈祷も大切」
人間は御自身でこの世に「生」れることを選ぶことはできません。
人間は御自身で「老」いていくのを止めることはできません。
人間は御自身で「病」気を思い通り治すことはできません。
人間は御自身で「死」ぬ日や時を選ぶことができません。

そして、呼吸や心臓を動かしたり止めることはできません。
人間は常に「生」「老」「病」「死」で苦しんでいます。

あなた御自身は、人生を決めて生きているようで、実は色々な「御縁」を頂いて今までの人生を歩んでこられたのです。

つまりあなた御自身は「生きているのではなく」「生かされているのです」。